「つい怒ってしまった」の嘘、怒りの感情をコントロールする考え方。

教員になったばかりの頃、日々発生する様々な問題を「怒る」ことで解決していた。
それを気持ちが良いとは思っていなかった。怒るたびに嫌な気持ちになっていた。
でも、それ以外の解決方法が分からなかったし、知らなかったし、それ(怒って解決すること)が正しいとすら思っていた。

とにかく目の前で日々発生する問題を、その場ですぐに解決していくことが教員として大事なのだと思っていた。



もしかしたら、心のどこかでは分かっていたのかもしれない。
「一番ラク」な「怒る」という行動によって、問題を解決しているように見せかけ、教員として未熟な自分を安心させていたのかもしれない。


こう考えるようになったのは、困ったら怒りを通しての問題解決しかできない自分に悩んでいた時期に、ある本で、新しい考え方に出会ったからだ。

「カッとなって怒ってしまった」は嘘


『人が「カッとなって怒ってしまった」というのは嘘。「感情」は出し入れ可能な道具である。』と著者は語っていた。


そこで2つの例え話が紹介されていて、えらく納得した。


ある男がファミレスに行って、コーヒーとサンドイッチを注文した。店員が注文した品を運んできた際に、手がすべり、コーヒーをこぼしてしまった。コーヒーは男のお気に入りの白い服にかかってしまう。そこで男は怒鳴った。「なんてことしてくれてんだ!」店内に響き渡る大きな声だった。

この話を振り返って男は言う。
「あの時はついカッとなって、怒ってしまった」と




母と娘が言い合いをしていた。どちらも怒りの感情に任せて大声をあげていた。
そのとき家の電話が鳴った。「もしもし?」慌てて受話器をとった母親の声にはまだ少し怒りの感情がこもっている。しかし、電話をかけてきた相手が娘が通う学校の先生だと気づいた途端、母親の口調は丁寧なものに変わった。そのまま5分ほど、よそ行きの声で会話をし、受話器をおいた。と同時に、再び娘と怒鳴り合いの口論を再開した、、、




怒りは出し入れ可能な「道具」


②の話は、なんだか実際に見たことも聞いたこともあるような話で、よくあることだなと思った。しかしよく考えると、確かにこの話では「怒りは瞬時に取り出すことも、ひっこめることも可能なものである」ことが分かる。
ひっこめる方は、受話器をとって相手が変わったから怒りがおさまっただけかなとも考えられるが、電話が終わって受話器を置いたら即座にまた怒り出す姿はまさに「怒りを取り出している」
ではなぜ母親は怒りを取り出して娘と向き合う必要があったのか。



それは怒りに身を任せた方が問題解決の手順が少なくてラクできるから。

①の例では、あきらかに店員側に責任がある。大声を出さなくても、お気に入りの洋服だったことを伝えることはできた。店員も謝罪しただろうし、新しいコーヒーを持ってきたり、クリーニング代を出したりもしただろう。でも、そこを丁寧に話すのがめんどくさかった。

ワッと怒って大声を出せば、店内の誰もがそのことに気付き、店長などの責任者も即座に動き出すだろう。お店側もこれ以上怒らせまいと、より丁寧な対応をするだろう。

怒りは道具なのだ。
目の前の問題は、丁寧に話し合うことで解決に向かっていくはずだ。だけどその手順はとても面倒くさい。自分の思いを伝えたり、相手の考えを理解したりすることは、時にすごく難しいことで、時間がかかる。だからより簡単な「怒り」という感情を「使って」解決しようとする。



使うかどうか、選択肢は自分にある!


この「怒りは道具」という考え方は、ある意味で、人の力はもっとすごいんだぞ!っていう考え方でもあるなと思った。


「自分はよくカッとなってしまって、、、」


そういう人は「自分は怒りには勝てない」「コントロールできない」と思い込んでいるところがあると思う。自分もそうだった。「怒りの感情をコントロールする」という考え方。「怒りの感情を使うべきか」という選択肢はなかった。



この考え方に出会い、まずは怒りの感情とライバル関係になった。
怒りの感情と自分、どっちが勝つか。

怒りを使わずして、解決する。

この場面、今までの自分なら「怒って解決したように見せかけていた」けど
「怒らずに解決する方法はないか」「本当に怒る必要があるのか」
そんな自問自答を繰り返して、少しずつ、少しずつ「怒る」回数は減っていった。







「叱る」と「怒る」は違う。
叱らないかん場面もある。甘い。

教員として「怒りを使わない」選択肢をとれるようになってから、こんな指摘を受けるようにもなっていった。


集団になるとね、、スポーツとか特に、、、


「叱る」も「怒る」も受ける側からしたら気持ちのよいものじゃないと思う。
思い出すと、自分はそうだった。学生時代、あれしたら叱られた、怒られるけんやめとこう、くらいしか残らなかった。それは本質的な解決ではない。


だから、怒りを使わず解決・向上を目指す。

でも、どうしてもうまく伝えきれなくて、怒りを使ってしまったときは、何日も、何日も、モヤモヤして嫌な気持ちになる。相手もきっと嫌な気持ち。

そして、さらに「怒り」を使わない回数が増える。使いたくない。




でも、生徒からは
「今怒ってんだろうなって雰囲気でわかるよ」ってよく言われた。笑

自分で選択して使わなくても、あふれだしちゃってるみたい。



無言の圧。



それ余計怖いわ!!

勝手にあふれだしちゃってんだから、まだまだコントロールできてないっすね。
文章につづって振り返ってたら、最後に今後の大きな課題発見。笑




自分の器を大きくして、あふれださないようにします!笑


おわり。





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